阪神高速(?)道路

先々週に引き続今日もUSJに行ってきました.私の自宅からですと名神高速道路の京都南インターから入って豊中から阪神高速道路に入ります.日曜日でしたが比較的道は空いていました.名神の制限速度はほとんどのところで80Km/hになっています.工事中の区間などは50Km/hですが,まあ普通には80Km/hです.一方阪神高速道路の制限速度は60Km/hです.狭いところや工事中の区間,急カーブなどのように,40Km/hとなっているところも珍しくありません.しかし通行している車の多くは知ってか知らずか,どう考えても60Km/h以上,多分80Km/hぐらいの速度で走っています.確かに感覚的に高速道路というと,80ぐらいは出せそうな気がします.しかし阪神高速道路の制限速度は,少なくとも私が走る区間のほとんどでは60Km/hです.1カ所だけ,ユニバーサルシティインターのすぐそばのほんの数分の区間に80Km/hの区間がありましたが,これで「高速」道路と言えるのでしょうか?もちろん撤廃しろということではありません.交通事故の恐ろしさを考えると,今のままでよいと思うのですが,それなら名前を例えば阪神自動車道路とでもしたらどうでしょうか.

しかし今日改めて交通マナーの悪さというのが目に付きました.大幅(多分20Km/h以上)なスピード違反はぞろぞろあります.そのほかに,無理な追い越し,頻繁な車線変更,通行区分帯の無視,ライトのパッシングによるあおり,シートベルト着装違反(しかも高速道路で!),割り込み,運転中の携帯電話,さらには帰り道では暗くなっているにもかかわらず無灯火の車がけっこうありました.ハイビームのままの車も想像以上にありました.また高速道路のPAでは,身障者用の駐車スペースへの違法駐車,USJの駐車場では乱暴な置き方による2台分のスペースの占有などなど.やはり「自分さえよければ」という気持ちが蔓延しているようです.昔ももちろん,こういう無法な人間はいましたが,今ほど目に付かなかったような危害します.やはりどこかこの国の深い部分で,人間性が崩壊し始めているような気がします.

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勤務時間

今日は体育の日.国民の休日.いわゆる移動祭日です.でも講義時間を確保するために,勤務先の大学は開講日です.休日ですから電車もバスも空いていて,珍しく行きも帰りも座れました.学生さんの中には自主休講を決め込んだ人もいるようですが,教員はそうはゆきません.一方職員さんはどうもフルには出勤されていないようです.先週,私の講義のお世話をしてくれている職員さんに訊くと,今日は休日出勤扱いになるそうです.ですから今日出勤した職員さんは代休をとるそうです.

我々教員には実は勤務時間の規定がありません.10年ぐらい前に子どもを保育園に入れるのに就労証明書を書いてもらったのですが,勤務時間の欄には「規定に勤務時間は特になし,ただ通常は9時から5時までが標準」という意味のことが書いてありました.ですから休日出勤という概念もないし,ましてや残業という概念もありません.ですから給与はどれだけ働いても,毎月一緒です.講義期間中も長期休暇中も一緒です.まあ安定していると言えばそういえますね.でも今日みたいな日はなんか少し損をした気がします.とは言えやはり安定した職場であることはありがたいことです.

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休日出勤

明日10月13日は体育の日で国民の祝日ですが,勤務先の大学は講義日です.また11月3日の文化の日もお休みではありません.と言うのも,今回の体育の日もそうですけど,最近happy mondayということで,祝祭日が日曜日になると次の月曜日がお休みになります.でもそうすると,月曜日の講義日が少なくなり,必要な講義回数が確保できなくなります.ですから国民の休日にもかかわらず,お仕事なのです,

今我々は春学期,秋学期それぞれ14回の講義があります.昨年までは13回でしたから1回ずつ増えました.ですから夏休みが2週間短くなりました.以前いたケンブリッジ大学は3学期制でそれぞれの学期が8週間でした.ですから合計で24週の講義があります.今の勤務先は28週ですから,ケンブリッジより勉強していることになります.

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為替相場

サブプライム問題に端を発したアメリカの金融不安,そしてリーマンブラザースに代表されるアメリカ金融機関の信用不安と,公的資金注入の遅れからか,最近外国通貨の対円レートが急激に下がっています.実は9月の始めにUKポンドの指し値買いというのをしようとしました.その時の円・ポンドレートは190円前後だったので,一応185円で買いという指定をしました.しかししばらく185円にはならないだろうなぁ,って思っていたんですが,その数日後にフッと何かを感じて,その指し値買いを取り消しました.何故,何を感じて取り消したのかについては,自分でもうまく説明できないのですが,とにかく何かを感じたので,取りやめました.その後一時期195円ぐらいまで行きましたが,今では170円を切るところまで下がっています.もしあのとき買っていたら,1ポンドで15円ほど損をしていますから,何十万円かの損になっています.

今,円はドル・ユーロ・ポンドなどの他の主要通貨に対して軒並み高くなっています.これは日本の経済状態が,他の諸国に比べてまだマシということから来るものらしいです.でも日本の財政状況は先進諸国の中でも最悪の状況のはず.政府の財布と企業の財布は違うとうことなんでしょうか?

今年(2008年度)の学生の就職状況は上々でした.学生達が就職活動をしていた2月〜6月ごろまでは,日本の景気はそれなりに好調で,企業の採用意欲も堅調でした.しかし今後急速に企業の業績は悪化するでしょう.輸出産業を円高が直撃して,業績の悪化が始まります.輸入産業が円高で余裕が出るかというと,内需が落ち込む分そうはゆかないでしょう.そうなるとまず最初に出てくるのが,採用人数の削減です.無論少し前の平成不況の時の教訓から,まったくのゼロということはなしないでしょうが,これまで3人採っていたところが2人あるいは1人となります.来年度以降はかなり就職が厳しくなるでしょう.また学生指導に頭が痛くなります.

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賞味期限

今日のタイトルは「賞味期限」ですが,何も食品疑惑の話をしたいわけではありません.昨日・今日と続いたノーベル賞受賞の関連です.南部・益川・小林の3先生のお仕事,それから化学賞の下村先生のお仕事,いずれも30年,40年前の仕事です.むろんそのことにケチを付けているわけではありません.むしろ逆で,30年,40年前のお仕事が今まで寿命を長らえているということに,大いなる敬意を表したいと思っています.これらのお仕事は見事にサイエンス的知見のストック情報として生きています.

翻って私の関連している情報科学,情報システムの世界を考えると,サイエンス的知見がドンドン消費されています.世に「サイエンス型産業」という言葉があります.バイオ,ナノテク,マテリアル,情報科学などがその代表と言われています.これらの産業は「サイエンス的知見と実際の製品までの距離が短い」という風に考えられます.言い換えればサイエンス的知見がすぐに製品化されるということです.むろん一つの製品が長期間愛用されることもあるでしょうが,通常製品というものは比較的短期間で消費(使われなくなる)されます.一方サイエンス的知見は人類の共通財産であり,その価値は不変のものだと言えます.

先年無くなった森嶋通夫氏の著書「思想としての近代経済学」の中で,氏は「学説はいったん発表されると,学説の時間的順序とは関係なく,すべてが一つの袋に入れられる」という趣旨の発言をされてます.しかし今のサイエンス型産業では,サイエンス的知見の多くは「過去の遺産」の袋に入れられることなく,使い捨てられているという気がします.すべてがそうであるとは言いませんが,多くの知見は研究者・技術者の懸命の努力にもかかわらず,短期間に消費され捨てられます.私の仕事の領域の情報科学では,特にそれが顕著だと思います.よく「パソコンは生ものだ」と言われます.3年経てばもう新しいソフトは動かないということがよくあります.こういうサイエンス的知見の使い捨てのシステムは,どこかおかしいなという気がしてなりません.

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ノーベル賞

久しぶりに明るいニュースが飛び込んできました.もちろん南部・益川・小林の3先生のノーベル賞受賞のニュースです.私のような者が言うのもおこがましいのですが,今回受賞された皆さんは,いつノーベル賞を取ってもおかしくないと,長年言われ続けていました.それがようやく,という感じです.今回は特に日本人の独占ということで,日本の学術(物理学,素粒子科学)のレベルの高さを世界に印象づけたという気がします.ただちょっと気になったのは益川先生が「自身の受賞については)たいして、うれしくありません。」とおっしゃったことです.どういう意図でおっしゃったのか,どういう文脈でおっしゃったのかはわかりませんが,基礎科学に携わる人間としてノーベル賞の受賞がうれしくないはずはないと思うのですが,そう思うのは凡人だからでしょうか?益川先生がおられる京都産業大学のホームページを見ると,受賞対象となった論文が掲載されていました.わずか7ページの論文です.これが物理の世界を変えたのですね.ともかくおめでとうございます

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健康診断

今日は勤務先の健康診断でした.毎年きちんと受けています.今年から「メタボ対策」として腹囲(お腹の周りの計測)が加わりました.メタボ検診については,賛否両論があるようです.まあ普段はほとんど気にしないことを指摘してもらうというのも,悪くはないとは思いますが,さすがにチョットお節介かな,という気もします.

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携帯電話

今や誰でも1台は持っている携帯電話.2台3台と持っている人もいるようです.もちろん私も持っています.でもあまり使っていません.精々使うのが日々の「カエルコール」つまり「*時に帰るよ」という連絡をするぐらいです.ですから仮になくなってもあまり不便は感じません.9月の始めに子どもが東京に行くので,私の携帯を貸しました.それから離日する13日まで彼に持たせたのですが,なくてもまあいいかぁという感じでした.何かあったときには便利なんでしょうがね.ただ困ったのは公衆電話が少なくなった事です.先日も携帯が無いときに,出先で自宅に電話をしようとしたのですが,なかなか公衆電話が見つからず苦労をしました.やはりみんな携帯を持っているから,公衆電話の利用がグンと減っているのでしょうね.

今や携帯電話は「電話」ではなく,立派な「情報端末」になっています.以前PDA(Personal Digital Assistance)などが情報端末として一時期もてはやされたこともありますが,PDAの持っている機能のほとんどは,今や携帯に搭載されています.AppleのiPhoneなどはもはや携帯の域を超えています.今後どうなるか,ちょっと恐ろしいところもあります.ですから携帯を紛失するとほとんどの人がパニックになるでしょう.なんせ自分に必要な情報のほとんどが携帯に入っているわけですから,それが無いと何も出来ない,ということにもなりかねません.情報が一つのデバイスに集中しているわけです.私はこれを「パーソナルメインフレームシステム」と呼んでも良いかと思います.

メインフレームというのは一昔前の大型コンピュータです.すべての情報が集中していて,そこにアクセスすれば何でもわかる,というシステムです.しかしコンピュータのハードウエア・ソフトウエアの進歩にともなって,次第に廃れて行き,今や風前の灯火となっています.なぜメインフレームシステムが廃れたか?価格の問題や,性能の問題,あるいは分散処理技術の発達などが考えられます.理由はともあれ「集中から分散へ」というのが,コンピュータ業界の趨勢です.しかし携帯電話はメインフレームシステムと同じような役割を担おうとしています.メインフレームシステムでは価格や維持管理費などの問題がありました.携帯はその問題はあまりありませんが,メインフレームシステムでは起こりえなかった「紛失」という問題があります.超大型コンピュータと携帯電話,一見両極端の商品ですが,役割的に見ると,案外似ている部分があるような気がします.何かこのあたりで新しい仕事のテーマが出てこないでしょうかねぇ・・・

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サイエンス

9月17日に書いた論文不採録の件を少し反省している.あの時は「門前払いはないだろう」と思ったが,あとでゆっくり考えてみると,やはりサイエンスになっていなかったということがわかった.

単純な話,我々の論文は「既存の手法を使って新しい(?)分野に適用してみたら,こんな結果が出ました」というストーリーであった.これでは「事例紹介」にはなっても,「学術論文」とは言えないということがわかった.学術論文は新しい知見を生まなければならない.また我々のフィールド(工学)では,新しい知見が「予測と統制」に使えなければならない.今回の我々の論文はその点が全くなかった.まさに「やってみたらこうなりました」という所謂「ヤッコウ」の世界に留まっている.何か小さな事でよいから予測と統制に貢献する知見を含まないと,まともな学術論文とは言えないであろう.そう言う意味で,今回の査読者は極めて妥当な判定をしたことになる.さすが一流の学会は違うな,と改めて反省させられた次第である.

っとなると,ほとんど同じ内容を投稿してすんなり受理された日本の学会誌のレベルは???

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「イキガミ」と「死神」

今日は9月30日.1年の3/4が終わってしまう.ここ数日急に秋めいてきた.季節は正直である.歳とともに時間が経つのが早く感じられるようになってきた.先日フッと「あと何年生きられるんだろう?」と思った.厚生労働省の平均余命データから考えると,私はあと27〜28年生きられるらしい.っと言うことは,すでに生きてきた時間(53年)の半分である.自分が53歳であるという事実および外から見た姿と,自分の意識の間には,大きなギャップがある.私の子ども時代,50歳の人と言ったら,本当にオジサンであった.でも自分の意識は20代とは言わないが,30代あたりからあまり変化していない.それでも,外見はやはりきちんと(?)歳を取っているから,まあ世間から見たら「オジサン」なんだろうな,という事で,悲しいながら納得している.

この前の日曜日に「イキガミ」というノベライズを買ってきて読んだ.「イキガミ=逝き紙」ということで,国家繁栄維持法という法律に基づいて,1000人に1人の割合で,国民を殺してしまう,という,まあある種荒唐無稽な設定である.この作品の狙いは(多分)極限状態に置かれた人間を描くことによって,生きる意味を考えさせるということであろう.狙いは面白いと思う.ただ小説としての書き込み浅さとか,人物設定の甘さがあって,私の評価としては精々★★☆☆☆ぐらいであろうか.似たような内容を扱ったものとして,「死神の精度」という作品がある.さきほどのイキガミの主人公は人間であったが,こちらは死神が主人公である.死神が死亡の執行を許可するかどうかを判定する,というストーリーであるが,こちらは登場人物が生きていた.先ほどのイキガミと同じように,短編がいくつか集まったものであるが,イキガミが短編間のつながりがなく,単に雑多に集めた,という感じであるに対して,こちらはきちんとストーリーがある.個々の短編の完成度も高く,短編集としては出色のできであると思う.普通の常識的なイメージを裏切った死神(映画では金城武が演じていた)が実に格好いい.それに死を扱ったものであるのにもかかわらず,妙に乾いた印象である.最後の{オチ」も見逃せない.久しぶりに良い本を読んだな,という気がした作品であった.

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